シャンパーニュの革命へと乗り出したマダム・ポメリー。
まず、それまで当然のように入れていたリキュールを、過度に加える必要のないアッサンブラージュ(ブレンド)を考え、より洗練させました。
さらに、安定した良質のブドウを育てるために、収穫時期を遅らせたり、一定の品質を持つクリュ(畑)だけを選定したりしました。
これらは当時のワイン醸造の常識に反するもので、リスクを伴いましたが、ガリアローマ時代の石灰岩の石切場を利用した地下セラー「クレイエール」を手に入れ、長期熟成に最適な環境を整えるなど、徹底した改革をおこないました。
こうしてシャンパーニュ史上初のブリュット「ポメリー・ブリュット・ナチュール1874」が生まれたのです。
マダム・ポメリーはこう言っています。
“難局を切り抜けるためには、大胆に行動するべきである”と。